鈴木さんと佐藤さんと対子場
どういう経緯だったかは忘れたが、鈴木です。さんの鈴木です。に関するブログを拝見して面白かったので、
鈴木です で検索して見ました。
吹いた
鈴木です。さんが次の野望を達成するためには、農場主の鈴木です!さんや仮)本部の鈴木ですさんや講座担当の鈴木さんを倒さないといけない。
僕は苗字を出すと身元が割れてしまう程度の苗字なので、逆にうらやましい。
ところで、僕の住んでいる所は鈴木さんはとても平凡な苗字ではなく、鈴木さんは鈴木さんと呼ばれるケースが多い。お隣さんのことも、「鈴木さん」とよんでいる。
こちらでは、佐藤さんが多い。とても多い。
なので、佐藤さんは佐藤さんと呼ばれず、名前で呼ばれる。
学生も佐藤君や佐藤さんとは呼ばれず、名前で呼ばれる。
出席を取るときはこんな感じだ。
佐々木君、佐藤新君、佐藤一郎君、佐藤しおりさん、佐藤勉君...
佐藤パートは時間がかかるし、抜かしてしまったりする危険性もあるので、須藤までくるとほっとする。
1クラス40名なのだが、クラスによって佐藤人口が著しく異なることがある。
最大で13名の佐藤がいたクラスもあったし、わずか1名のクラスもあった。1名のクラスの時は、佐藤君と呼ぶべきかどうか迷った。
どうしてこのようなことが起こるのだろうか?
ひとつの可能性は、名前はその人の人生に影響を与えるということだ。
藤川球児が野球選手なのはともかく、大学時代の野鳥の会の友人で小さい頃から野鳥を見ていたという野鳥エリートは鳥山君だった。鵜沼君もいた。彼らが他の人よりちょっと鳥の事が気になったのは彼らの苗字に少なからず原因があるのは明白だ。
もちろん、苗字が佐藤であることが機械工学科を志望したり、理科好きになったりすることに大きな作用をしたとは思わない。本田君や鈴木君はどうか分からないが。
違った環境で育った、同じ年に生まれ同じ苗字を持つ少年少女が、志望校と志望学科を決めるのに至った様々な要因に、苗字がある同じ作用をしていた。そういう可能性は否定できるのであろうか?
もうひとつの可能性は、麻雀の対子場だ。手牌をみたら暗刻が2つに対子が2つあり、もしかしたら四暗刻とどきどきしていたら、他の人もポンをしまくって、あっさり上がられてしまうというような状況。一人が同じ牌を複数持っているということは、他の人はそれ以外の牌を複数持っている可能性が高くなるということだ。
あるクラスに佐藤が全然居ないことは、他の高校のあるクラスに佐藤が通常より多くなる可能性を高める。
いや、単に13名の佐藤と1名の佐藤の事が記憶に残りやすいだけだな。