namjun's blog

”研究で一番大事な事は工夫すること”

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札幌○○学院というスパルタ塾で学んだこと

中学3年生の時に札幌の某学習塾に通っていました。昭和の話です。

 
僕は試験に受かり国立の中学校に進みました。
成績は特例で「絶対評価」だったのですが、2年生まで僕の通知表には5が無く、3もある
その中学校では「中の下」くらいの位置でした。
 
このままだと、進学校には入れない。
自分で希望して進学塾に通うことにしました。
 
当時、札幌では「北大学力増進会」や「北大錬成会」が市内に多くの教室がある主流の進学塾でした。
しかし、僕が選んだのは新しくできた「札幌○○学院」でした。現在でも存続しているようなので伏せ字にします。
中学校の近くに本部があり、数名の同級生が通っていて、先生がとても「熱心」だという評判を聞いていました。
遠距離通学でしたが、通学途中の地下鉄駅近くに教室があったので、そちらに入塾することにしました。
 
週3回(4回だったかな?)の授業を一人の先生がこなしていました。
30歳くらいの眼鏡をかけた痩せた男の人でした。
授業形態はとにかく演習です。
教室には立派な輪転機がありました。さまざまな教材会社から教科書準拠プリントを取り寄せ、それを印刷します。
授業ではそれを短時間で解き、答え合わせをします。
そして、同じ単元の別の会社の問題を解きます。答え合わせをします。
同じ単元の別の会社の問題を解きます。答え合わせをします。
最初にやった問題をまた解きます。答え合わせをします。
「繰り返し繰り返し、何回も何回も」が塾の方針でした。
 
 
答え合わせのしかたが独特でした。
重要なポイントは、とにかく大声で説明します。
そして、先生の左手には竹刀があります。
とても重要なポイントを説明するときは、竹刀を床に叩き付けます。バシーン!!
目が覚めます。
問題を解いているときも、先生は竹刀片手で見回りますので、居眠りなどできるはずがありません。
さずがに直接、竹刀で打たれることはありませんでしたが、居眠りをすると、椅子の脚を打たれることはあるようでした。

同じような問題を繰り返すと、段々と問題のパターンがわかってきて、数回やると反射的に解けるようになります。
段々と退屈してきますが、竹刀のお陰で緊張感は途切れません。 
 
テスト成績の伸びは著しく、1学期の成績はオール5となりました。
ようやく、志望校のボーダーラインに到達できました。 
中学校の同級生も入塾してきました。
 
そして、夏期講習。
まず、全科目の問題プリントが渡されました。B4で厚さが20cm近くあったと記憶しています。
そして、黒ボールペンを渡され、「講習中に使い切れ」と言われました。
9時から5時までとにかく、問題プリントを解きまくります。
設定時間が50分のところを20分で解きます。そして、答え合わせ。
先生が、竹刀を床に叩き付け、大声で答えを叫んでいきます。
30分の昼休みが唯一の息抜きの時間でしたが、お弁当を食べ、友達とおしゃべりをしていると、
先生が怒鳴り込んできました。「何、休んでるんだ!」
塾生の間には戦友としての絆が生まれました。
 
塾は結局、12月頃やめることにしました。
 
どんな仕打ちを受けるかとびくびくしながら、先生に塾を辞めることを告げると、
先生は悲しそうな顔をして、「他の塾に行くのか?」と小さな声で言いました。
「いいえ。自分で勉強します。」というと、「そうか。頑張れよ。大丈夫だから。」と言われました。
実は優しい人だったのかと気づき、それなら辞めなくても良かったかなと思いました。
 
塾をやめた理由は、雪が降り、夜遅く帰宅するのが大変になってきたこともありますが、
「わからない問題が無くなった」からです。 
 
今は学校裁量問題もありますが、広い北海道のこと、全道平均で6割くらいの入学試験問題を作ると、
標準的な問題ばかりになってしまいます。
ちょうど、塾でやった問題と同じレベルですが、そのレベルだとあまり問題のバリエーションがありません。
そして、それはもう何度も何度も繰り返し繰り返しやってきたものです。
 
本番の入試では、国語が60点満点中50点と失敗しましたが、他の科目は全て満点で290点でした。
どの科目も3回見直しました。
 
自分の息子は昨年度、中3でした。普通の進学塾に1年間だけ通いました。
彼の勉強を見ていると、問題集を1回やって、間違えた問題をもう1回だけやって、満足しているようでした。
テストの成績はまあまあでしたが、最終的に目標には到達できませんた。
入試問題を答え合わせしてみると、落ち着いて解いてみると、解けた問題、ケアレスミスばかりでした。
どの科目も試験時間ギリギリまでかかったそうです。
 
野球の素振りのように、繰り返し繰り返し、何回も何回も、愚直に取り組むことの大切さを教えてもらったな。
久しぶりにあった塾の「戦友」と話しました。
あの先生、元気かな?名前何ていうんだっけ?とも。
 
今もその塾は存続していますが、竹刀は飾ってあるだけだそうです。